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株式会社 金星堂 ◆プロフィール◆
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◆ばじめに◆
金星堂は、いつお邪魔しても、ざっくばらんな明るさがある。
金星堂は、いつお邪魔しても、心を和ます温かさと、気が通る清潔感がある。
若い社員が多いから、女社長だから、という人がいるかもしれない。
でも、それだけではない、「何か」があるようにずっと感じていた。
平成元年、現社長が会社を引き継いだ時点で数億程度の売上が、平成17年の40周年には10億の売上を実現している。
現在は45周年に向けて15億の売上を目指して、地元三重・名古屋近郊だけではなく、全国へと羽ばたきを始めている。
会社の内外ともなる充実・発展を支えているものは「何」なのか。
代表取締役の小笠原まき子社長、そして専務取締役で社長のご子息でもある小笠原貴行氏に話を伺った。
− 株式会社金星堂は三重県桑名市で
地元密着の広告業・屋外広告業として、開業された。
当初は筆一本で一文字ずつ書いていく小さな看板屋であったが、
先代の職人としての腕のよさと夫人の切り盛り上手が合わさって、商売は繁盛を続け、昭和41年に株式会社金星堂として法人化した。
時代は高度成長期時代。
腕一つの看板屋も装置産業の流れの中でシステム化され、さらに、時代の波にあわせて、内装業や旅行業へと事業を拡大していき、ビジネスは順調に成長を続けていた。
そんな金星堂に変化が突然訪れる。
昭和60年、内装事業の失敗が元で、多額の負債が生じたのだ。
債務者として追われる日々が始まる。
かろうじて、本体の金星堂は会社として存続をすることができたが、社長がそのまま居続けるわけにはいかない。
そこで、当時、経理を担当していた、嫁のまき子氏に白羽の矢が当たったのである。
まき子氏は経理として会社で働いてはいたものの、本人曰く「ほのぼの」とした生活を送り、まったく経営とは関係ないところで、二人の子どもの面倒を見ていた。
− まさに突然の社長就任。しかも3億の借金つきである。
逃げることもできた。商売をしている東京の実家に連絡をすると、すぐに帰ってらっしゃいと言われた。
周りも当然実家に帰るだろうと思っていた。
でも、会社には辞めないで働いていた社員がいた。
そして当時小学校4年生の息子から
「帰れないふるさとは、つくらないでくれ」
と、言われた一言が、まき子氏の背中を押した。
− 平成元年、まき子氏が社長に就任。
とりあえず、毎日出社をし、得意先、下請け先へと頭を下げに行く。
立場は社長ではあったが、条件は今までのまま。経理時代の事務服を来て、目の前のやるべきことをこなしていく。
社長として何をしていいのか、まったく分からなかった。だから、勉強をした。
社長が集まる勉強会に参加し、経営指針が大切と言われれば、それを作り、効果的な会議運営について学べば、そのとおりに会社で実践した。
人に勧められる本は夜、子どもたちが寝てから読み続けた。
まき子氏は当時のことを振り返って
「怖いお兄さんが来たり、何度も人に頭を下げたりしたけれど、会社と社員と、自分の家族を守ることに必死だったから何でもできました。
常に自分は経営の素人だって思っていたから、人がこうした方がいいよ、っていうことには、そうなのね、ありがとうって素直に受け入れて、言われた通りにやったんですね。
多くの人がいいということはやっぱり上手くいくんですよ。」
と、まるで愉快なことのように明るく話す。
− また、社長業というものについてはこのように話している。
「私は営業も看板製作もできません。だから、社長業に徹することだけを考えました。
社長業とは、方針と数字を出すこと。
私が引き継いだ年から毎年年度方針を作り、それに向けて動き続けています。決算書も全部オープンにして、売上はいくらで借金はいくら、経費はどのくらいで給与はいくらなのか、社員に毎月提示しています。
そして、それがずれていないか、日々目配りをすることも社長の仕事だと思います。
そういのって、細かい業務をチェックしなくても、元気で働いているかとか、仲間と調和が取れているか、とか、日々のちょっとしたしぐさで分かるものですよね。あとは数字が教えてくれます。」
「社長とは主治医のようなものだと思っています。会社は公器ですから、常に健康体でいるかどうかをチェックするのが私の役割なんですね。
そのために、いつも私はニコニコしているようにしています。たくさん声かけもします。奥さん元気?と身近なことを尋ねたり、怒られた社員に飴玉あげたり。
だって、人間でも健康体は元気や明るさに宿るでしょ。
大変なときでも会社の玄関を入ったら、切り替えなきゃって、みんなのために私が太陽にならないと、って思っていました。
あと、健康体でいるために、できない約束はしない、約束は守ること、分かりやすく説明すること、などを大事にしてきました。」
文字通り、逆境をばねに成長をしてきた金星堂。しかし、会社の内外の充実・発展の理由はどうもそれだけではない。会社の深い部分にまだ「何か」があるようだ。
− 金星堂には、先代の代からの社是がある。
●私達は常に誠意・情熱・忍耐をもって事に当たり、お客様に信頼を受けるよう努力いたしましょう。
●あなたには手を、あなたには足を、あなたには頭を、社員の足りない面は貸し借されいたしましょう。
● 私達は常に節約を忘れず、質素な社風を作りましょう。
結論から言うと、金星堂は、この社是を「生きた」ものとして存在させ、社内の規律や行動指針に今でも反映されているから上手くいっている、と私は感じている。
まき子氏は苦難の時期を乗り越えられた要因として、
「自分は周りに運ばれてきた。自分が何かをしたというよりも、周りが引っ張ってくれたと思っています。大変なときには必ず誰かが私を応援してくれたし、手助けをしてくれた。」
と何度も言う。
おそらく、先代はこの社是のような人だったのだろう。
誠意と情熱、忍耐を持って仕事をし、何かあれば手と足と頭を貸して人を助けていた。
その「徳」が、苦難の際に、まき子氏へ戻ってきた。実際に、先代にはお世話になったから、と言って、逆境のときに手を貸してくれた、取引先、お客様も多かったそうである。
そして、先代から社長業を引き継いだまき子氏も社是を忠実に守った。
まき子氏のあり方はいつも誠意にあふれ、情熱的である。困っているときにはこちらがホッとするような手を差し伸べてくれる。
自分は社長として素人であるという謙虚な姿勢は、まき子氏を、行動判断に迷ったときにはいつも社是に立ち戻らせたのだろう。
− そして、今。
平成10年に入社をした息子の貴行氏が一昨年専務となり、
会社の実務面を仕切っている。
実は2年前に社是を変えようという動きがあったそうだ。
全社員で何度も話し合いが行われたが、結果、自分たちがこれからも大事にしたいことは、今の社是の中に盛り込んである、という見解で、変更しないことになった。
貴行氏は明確なビジョンを持つリーダーである。
しかし、ビジョンに浮ついたところはない。
それは、社是を通して過去を見つめ、今に対応しながら、未来を見据えたビジョンであるので、このビジョンに向けて金星堂は進むだろうし、実現化していくのだろうと確信している。
先代が大事にした規律―「社是」―が、まき子氏の代で耕され、強固な土台となり、貴行氏の代できっと大輪の花となることだろう。
社是を守ってきたことが、結果、会社を守り、発展させることになった。
今後の展開がとても楽しみである。
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