長井 正樹氏

株式会社 高浄 代表取締役 長井 正樹さん

◆プロフィール◆
神野広美さん
1972年

大阪府高槻市生まれ
龍谷大学経営学部卒後、
大手保険会社に入社
1999年 株式会社リーヴス、取締役に就任
2001年 先代、故長井武の後を継ぎ、
株式会社高浄、代表取締役に就任
株式会社リーヴスにて、
出張シュレッダー業務を立ち上げ
2003年 福祉用具レンタル業務、
株式会社さんきゅーを設立
代表取締役に就任
2005年  高槻まちづくり株式会社を町衆仲間達と設立
現在に至る

一般社団法人 大阪ビルメンテナンス協会 理事
NPO法人箕面こどもの森学園 理事

はじめに

大阪府高槻市を拠点に、ビル総合メンテナンス業を営む長井正樹社長。
この不況の中でも業務を拡大し、実績を上げています。
長井さんはいつお会いしても自然体。
社長という重責をさらりと受け入れながら、軽やかに成果を出しているかのように見えます。
でも、以前はそうではなかったとのこと。がむしゃらに頑張って引っ張る管理経営を遂行していたそうです。
管理経営から、社員とつながり信頼の中で成果を出す経営へどのようにして移行していったのでしょうか、お話を伺いました。

インタビュー

会社に入社をしたのは28歳の時です。 それまでは、大手保険会社で働いていました。 当時は、親父の会社を継ぐつもりはなかったんです。 優秀な社員ではなかったですが、友人達も沢山いたし、会社には満足でした。 仕事は頑張るものだと教えられましたから、それこそ土日返上で、朝早くから夜11時すぎまで働いていました。

でも、父が病気をして、手紙をくれるようになったんですよ。 そこには「帰ってこい」とか「継いでくれ」何ていう言葉はないんですけれど、今までの剛力な父とは何かが変わっていたんです。そのころから、どうせ頑張るなら自分の会社で頑張ってみようかな、と思うようになりました。

入社した印象はいかがでしたか?

最初は、「これか中小企業は!」と思いました(笑)
行き当たりばったりと言うか・・(笑)会社は社員が回しているのに、社長のトップダウンで決まり事も日々変わっていく。
大企業で当たり前だったマニュアルやシステムはすごいことだったんだって初めて納得しましたね。
だから実際に入社はしたけれど、親父とはしょっちゅう衝突をしました。
でもある日、親父が「どうせ社長をやる気なんだろ、ならいつでも一緒や!」と言ってすぱっと会社を辞めたんです。親父は57歳、僕は29歳でした。
それから一切会社には出てきませんでした。

「つぶしたければ好きにしろ」と言って、顔も口も出しませんでした。
今にして思えばよく任せてくれたな、と思います。

社長にはなりましたが、もれなく借金もついてきまして・・・笑。

どこかで親父からの「お前で返せるのか?やれるのか?」という挑戦状とも受け取れたところがあり、親父にだけは甘えたくない、負けたくないという思いで、また、がむしゃらに働きました。

朝は7時30分には出社し、社員から出てくる資料はすべてチェック、案件の一つ一つも必ず目を通していましたね。大企業で学んだシステムを導入し、社内の仕組みづくりに躍起にもなっていました。

週末は、様々な研修会や勉強会に参加し、経営のことや自己研鑽に勤しんでいました。四六時中ずっと走り回っていたような感じですね。いつも気持ちがピリピリしていたので、紛らわすために毎晩遅くまで飲み歩いてもいました。

そんな時に、最愛の妻から
「幸せじゃない!」と言われたんです。

「あなたは社長で自分はかっこいいと思っているかも知れないけれど、大したことない、私はちっとも幸せじゃない」、と啖呵を斬られました・・・。

その時、小さな娘の寝顔を見ながら、初めて考えたんですよ。
自分がやってきたことは何だったんだろう・・・。
何のために俺は頑張っているのか・・。

今振り返ると、「親父に負けたくない」という思いの裏返しに、「俺は負けている」という強い自己否定があったと思います。
誰よりも自分で自分が社長であることにOKを出すことが出来なかった。
頑張って成功しなければ俺はダメなんだ、って思っていたことに気がついたんです。

今だから言えますが…

それから、仕事のやる気がなくなりました。
仕事をする意味が分からない。
社員とはつながれていないので会社に行っても孤独、奥さんは離れていく。
朝、会社に行くのが苦しくてしょうがなくなってしまいました。

それまでは8時45分始業だったのを、成功者は早起きせなあかん!と言って、朝礼を8時に変えて早起きを励行していたのに、今は自分が行きたくない。

俺がここに生きている意味は何なんだ、本当の幸せとは何なのか、毎日そんなことばかり考えていました。

そんな状況が半年くらい続いた時に、一つのことに気づいたのです。

それは、
「俺には実力がない」ということ。

俺は偉そうにしているだけで力なんてない、それが初めて腹の底に落ちたときに、このままでは終わりたくない、もう一回人とつながろう、もう一度人と一緒に何かをしたい、と強く思うようになりました。
そこから人を管理するのではなく、つながっていくことを意識して関わるようになりました。

すると、社員に対して見る目が変わってきたんです。

今までは、俺がなんとかせなあかんと思っていたけれど、そうじゃない、俺が行かなくなっても、社員はずっと朝8時に来て朝礼をしてくれていた、仕事をしてくれていた。

俺が社員を助けているつもりだったけれどそうじゃない、実は助けられている側だったんだ、彼らは助けなければいけない存在ではないし、競争相手でもない、仲間なんだ、という感覚が芽生えてきたのです。

自然と社員のことを尊敬の目で見れるようになってきたんですよね。

仕事のやり方も変わってきました。
全部自分がチェックをする状態から、社員へ仕事を任せるようになりました。

細かい現場の状況は社員の方が一番よく分かっている、だから社員が相談に来たら僕の口癖は「君はどう思う?どうしたらいいと思う?」って聞くこと。
そして、リスクはどこなのか、を伝えるだけ。「ここまでが最悪のリスクで、その責任は俺がとるよ、覚悟するよ、だから後は自分達で考えてやってみて、任せるよ!」っていいます。

すると、人は、意地でも最悪な状態にはしないぞって思うみたいで(笑)、結果を出してくれるんです。

先日も社員と飲んでいたらリーダー二人が小競り合いを始めたんだけど、その内容がね、
「(お客さんからのクレームに対して)社長に顔を出させてどうすんねん、社長には気分よく街を歩いてもらわなきゃあかんやろ。俺たちは何のためにいるんや!」と言って、言い合いしているんですよ。
本当にありがたい。
みんなが僕の神輿を担いでくれている。本当に助けてくれてありがとうって感謝しかないですね。

今、僕は社員を愛してるし、愛されているって胸を張って言えます。
仕事も楽しいし、社員と話すのも楽しい。
あと、社員の前で泣けるようになりましたね。最近は感動してよく泣いています。
10年前には考えもしなかったことですね。

リーダーを育てることについてはどう考えていますか?中には、長井さんのように、リーダーシップ力がない人もいると思うのですが。

みんな、本当は優秀なんです。ちゃんと、分かっている。

お客さんが喜ばないとどうなるのか、会社が儲からないとどうなるのか、普通に考えたら分かるはずです。

利益を生むとか経費を削減するとか、お金をやりくりすることって実はとてもシンプルで小学生でもお小遣いでやっている事だと思います。

やるべきことが分かっていれば、その人のタイプとか性質とか、もちろん学歴なんかも関係ない。それをやるだけ。
得意不得意はあるけれど、自分が何をすべきなのかはみんなが一番よく分かっていると思います。

事業所の数字は毎月社員にすべてオープンにしているけれど、それについて僕はほとんど何も言わない。数字を見れば、自分が何をすべきなのか必死に考えて、なんとかしようと思うでしょうし、担当リーダーが一番よく分かっていると思います。

もちろん、相談にはいつでも乗ります。
僕は社員のことを家族のように面倒を見ようと思うことを決めています。僕が彼らを大事にした分しか、彼らはその下の人たちを大事にしないと思うから。

マンスリーにやっていることは、月数回の会議と、個人面談。

個人面談は一人20分くらい。長い時は1時間くらいかかる時もあります。
仕事はどう?何か困っていることはある?とか聞くけれど、家族は元気?とか、プライベートのこともたくさん聞きます。もちろん、よく話してくれる人もいれば、特に何もなくてすぐに終わる人もいるけれど、それでいいと思っています。

これからやっていきたいことは何ですか?

世の中も変わってきているので、生活や社会にも今までとは違う変化が出てくるのかもしれません。でも、僕「なんかいい」というのが好きなんです。スタッフが好き、とか、つながりがある、とか、この感覚の部分で人に愛されたり、愛したりというのがうまく廻っていくといいなって思っています。

10年前に離れていきかけた家族と今はすごくうまくいっています。家族がきちんとつながるというベースがあって、初めて社員ともつながれるようになりました。
だからこれからも、あきらめずに人とつながることをしておこうと思っています。

それを商売の場に拡げて引き続き実践していきたい。

もちろん、うまくいかないことも沢山あるし、今でも時には不安で、命令してしまったり、コントロールする経営に揺れる時があります。けれど、そんな時は、いやいや、みんなを信じようって思い返します。
人をあきらめないとか、お客さんをどれだけ喜ばしているか、心を込めた分だけ利益が出る、みたいなところを信じて、それで会社が廻るのか、自分が試してみたいと思っています。
結局どこまで信じてやれるのか、自分との戦いなんですけれどね。

もちろん中小企業だからできることだと思うけれど、それで商売が出来たら、みんなとリアルに泣いたり喜んだりして、きっとすごく「なんかいい」ってなれると思うし、そんな経営者や起業家が増えていくと今より少しいい感じの世の中になるんじゃないかと思い巡らしています。

最後に、10年前の頑張っていた自分に何かメッセージがありますか?

10年前は借金からのスタートだったけれど、今はあの苦労があったから良かったって思っています。
商売に本気になれた。もし会社にお金があって安定していればそうは思わなかったと思います。

父親に負けたくないと言う思いが、自分を苦しめてはいたけれど、だから事業も拡大できたし、会社の仕組みも整備することができました。父親に相談できなかったから、沢山の先輩経営者の人達に教えてもらい、助けてもらい、今も可愛がってもらえるのだと思います。

今にして思うと、僕だけじゃなく父親も僕と競争していたんだと思います。お前なんかに出来るのか、俺の方がすごいんだぞってね。

数年前ですが、当時の借金を返し終わった時に両親が食事に連れて行ってくれたんですよ。
そのとき初めて「ありがとう、よく頑張ったな!」って言って感謝してくれました。嬉しかったですよね。そして、俺も親父からたくさんのものを引き継いでいたんだなって感謝の気持ちが溢れ出したんです。例えば、徳を積むこととか、面倒見の良さとか。沢山の人脈。もちろん、会社も…。必要なものは全て、今は亡き親父から受け継いでいるんですよね。

そう思うと、10年前の自分には、行きたいところに必ず行くことが出来るから、あきらめるなよ、っていうかもしれませんね。

編集後記

長井さんとは普段は家族ぐるみでおつきあいをさせていただいています。

今回、インタビューのために会社に訪問させていただきましたが、長井さんの社長の姿とプライベートで見せる様子は全然変わらない!
誰の前でも変わることなく正直に向き合う姿勢が、社員や周りの人を信頼させるんだな、と感じました。
会社訪問中、何気なく聞こえてくる長井さんと社員さんとの会話からは「任せるよ」「ありがとうな」という言葉が何度も聞こえてきました。
心から仲間を信頼していることが伝わってきました。
社長のそういう言葉は場を明るくさせてくれますね。
今後益々の発展がとても楽しみです。

インタビュー企業情報

◆株式会社高浄◆
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